橋爪 啓

3. 大河ドラマ「鎌倉殿13人」と橋爪啓

今、三谷幸喜氏によるNHKの大河ドラマ「鎌倉殿13人」が
放映中であるがこの13人の中に橋爪啓の先祖が含まれている。
 
菅原道真 …. 菅原孝標女 (更科日記)

小野妹子 …. 小野小町

阿倍仲麻呂 …. 阿倍清明

のように歴史の血縁では重要な人物がしばしば同じ血縁上に
登場する。

橋爪啓の場合も

三浦一族..... 和田義盛----+
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                          +----朝比奈三郎義秀....太地角衛門....橋爪啓
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              巴御前......+

との系譜がある。
小職は幼いころから橋爪啓・叔父には「おまえの祖先は和田義盛である」と
いつも聞かされていた。
母からも同じように聞かされていた。
和田義盛は知らなかったし啓・叔父は朝比奈三郎もすごい豪傑で歴史上有名な
人物であるかのように語っていたが小職は知らずに高校くらいのころに
和田義盛が別当という当時では裁判官のような地位についていたことだけは
わかった。
最近になって知ったのは和田義盛は平氏一族の中でも別当という地位に
憧れていたようで自分も別当になりたいとか自分を別当にして欲しいとか
懇願していたようである。
 
和田義盛は源頼朝を頂点とする鎌倉幕府の御家人衆(家来)の筆頭にあったが
北条義時が頼朝の勢力を弱体化させるために和田義盛をけしかけて
和田の乱を起こさせ和田氏一族を由比ガ浜で滅亡させてしまうのである。
ここで初めて頼朝の鎌倉幕府の弱体化が始まる。

頼朝も落馬とかで謎の死をとげた後に13人の合議制の政治が
始まるがその中の筆頭が和田義盛であった。
したがって「鎌倉殿13人」の主題となるストーリーは
北条義時と和田義盛の戦いが中心である。

北条一族はもとより源頼朝を傀儡政権としか考えていなかった。
源頼朝を匿ったのは北条時政であるが北条政子を頼朝の正室に嫁がせて
源氏は頼朝から源頼家・実朝と続くのだが実朝は頼朝の孫ではなく
息子であり公卿によってご存知のように鶴岡八幡宮で暗殺されてしまうが
これを裏で画策していたのは北条氏であり実は二代目将軍の頼家も
入浴中に暗殺されてしまっている。
 
このように北条一族は源氏一族をことごとく暗殺して実権の掌握を
我が物にして執権政治を確立した。
源頼朝は確固たる安定政権ではなく北条一族の上に成り立っていただけの
脆弱な基盤の上の幕府にしか過ぎなかったのである。

執権政治が続く中でも将軍は名ばかりの将軍が朝廷から
鎌倉へ配置されていて名目だけの将軍がこの後続くことになる。
学校の教育では執権政治とは教えても将軍がいたことを
教えていない。

執権政治もやがて足利一族によって滅ぼされてしまうが
北条一族の中でも抵抗を続けていた猛者もいた。

このように「鎌倉殿13人」とは

北条義時と和田義盛の戦い である。

としてフォーカスして観て頂ければ理解しやすい。

橋爪啓は自分の祖先について述べている文章が残っているので
次回はそれを紹介したい。