基礎学習として例えば英語を学ぶ目的は
・英会話ができるようになるため
・英語の文献を読んで理解できるようになるため
・英語の執筆ができるようになるため
..つまり英語で役に立つことを期待している。
海外旅行をしたりネットで海外の文献を読んだり..と
英語でのインターフェースが必要であるので
英語を学習し勉強するのはいうまでもない。
他の物理や化学や日本史や世界史などを学ぶのも
後でその世界に進むことになった場合の基礎として
あるいはその世界の入り口を紹介するためのものである。
数学はどうだろう?
しばしばこのような難しい数学を勉強しても一体何の役に
立つのだろうかという議論が交わされることがある。
あるお茶の先生が
「私は数学を勉強しなかったが何の不自由もない」
と言い放ったのは有名な話だがこのお方は知らない人生を見ることが
できなかった。
その理由ではないと思うが今では三角関数を学校では教えなくなっているようである。
円周率でさえも一時期は3.14159…ではなく 3と教えていた時期があった。
それでは数学を学ぶ目的は何だろうか?
他の学問を学ぶ目的はただひとつ、その学問の習得であった。
先に説明したように英語の学習も英語を役立てるためである。
事実私たちは英語の文献も読めるようになって仕事の役に立っている。
ところが数学だけはちがう。
数学を学ぶのは次の二つの目的がある。
(1)社会での数学の知識や技法を役立てるため
(2)数学的論理思考を養うため
(1)は他の学問と同じ目的である。
分数計算や足し算掛け算くらいは知らないと社会での最低限の必要な
計算をすることはできないし工学部で土木や建築に必要な構造計算の基礎を
知ることができない。
しかしもうひとつの重要な目的は(2)の数学的論理思考を養うことである。
私が卒業するときある教授は卒業生に
「君達は社会に出て数学が役に立つとは思うな。
ここで学んだ数学的な考えこそが役に立つのだ。」
と諭してくれた。
これは私も当時でも承知していてそのとおりであると理解していた。
あれほど(当時の理解では)抽象的で難解な学問の応用が世の中にあるとは
到底思えなかった。
この歳になってさえもあのときより難しいものに出くわしたことは
ほとんど経験としてない。
数学とは究極の論理思考の積み重ねである。
あなたは生まれてこの方「1」という数そのものを見たことがあるだろうか?
1個や2個という数の概念はあったとしても「1」という数そのものはどこにも存在していない。
全くの抽象概念なのである。
数学の教授に尋ねることは無意味だと思うのだがある教授は旅行中にある人から
「4次元の世界とはどのような世界なのですか?」と聞かれたことがあると
説明した。
数学者は抽象概念で物事をとらえているのでこの質問自体があまり意味をなさない。
抽象的なものを積み重ねて理解する力、特に1,2,….N として一般化して考える力を
養う学問と言えるだろう。
・抽象化
・一般化
で考えるのが数学という学問で頻繁に出てくる考え方である。
これはソフトウェアを開発する上でピタリ当てはまる。
これほどソフトウェア開発に必要な考え方思考方法はない。
特に一般化という特質に注意して欲しい。
集合とはポアンカレという数学者が初めて提唱した数学の分野であるが
実際の数学は集合という概念すら非常に具体的なものだと
思えてしまうような逆に言えば抽象的な概念を突き詰めたものである。
この抽象化と一般化を数学の特質として意識していて欲しい。
数学は数学をツールとして勉強するだけでなく論理思考を高めるための訓練
として学習するのに最適な素材であるのだ。
これこそが数学を学ぶ本質である。