先にSAA標準化としてメニューとプログラムの標準化の指針について
解説したが標準化の重要性をさらにもう一度強調しておきたい。
SAA標準化が必要であるのは
すべての画面と操作方法をIBMユーティリティ準拠も含めて統一することによって
(1)すべての適用業務が見やすくわかりやすくなる。
i5/OSを作ってしまうほど優秀なIBMの開発者が考えに考えて
機能キーの表現や操作方法を統一したのであるから
それらに従っておけば枝葉末節なトラプルもなく
見やすく統一された画面ができるはずである。
(2)すべて同じ操作で行えるので操作もわかりやすく簡単になる。
どの適用業務でもF12キーで戻ることができるし
F3キーで終了することができる。
更新はF5キーまたはF10キーであるのでエンド・ユーザーが
悩むことはない。
削除はF23キーである。
(3)適用業務の移行や変換、将来の拡張も簡単になる。
すべて統一されているのでツールなどによって移行や変換、および
機能拡張も簡単になる。
逆にSAA標準化のない適用業務画面を想像してみよう。
自分だけは違うという不必要な個性を出す設計者が作った画面やメニューは
(1) メニュー番号を示すピリオドやルニューのタイトルにも「メニュー」という文字列の表記がない。サブ・メニューにも「メニュー」という表記がない。
xxx業務とかxxxx管理とか書かれているだけで選択してみて初めてそれが
サブ・メニューであったことがわかる。誠に不親切である。
このような画面の設計者は自分のことしかわからない人であり
他人(エンド・ユーザー)にこれがサブ・メニューであることはわかってもらおうとは
考えていない。そのことにも気が付いていない。
恐らくはこのような人はIBMはどのようなメニューを作っているのかと参考に調べることも
しない。自分のことしかわからないタイプの人である。
コミュニケーション・スキルのない人はきちんと他人に表現しようという配慮に欠けていて
そのようなことは想像もしない人である。
(2) メニューの形式が見たこともないようなメニュー形式を作ったり入力画面も複雑で非常にわかりにくい形式を
いたずらに作ってしまうような画面を見ているとその品質とレベルを疑ってしまう。
メニュー構成が奇妙キテレツであるがプログラムの品質だけは素晴らしいことはあり得ない。
メニューからしておかしいのはやはり中身までおかしいのである。
整然とピリオドつきのメニュー番号表記でサブ・メニューもきちんと
「xxxxxメニュー」というように書かれているメニューをあるユーザーで最近見せてもらったことがある。
そのようなきちんとした統一感のある形式が表現されていると
この適用業務も信頼性ある品質に優れたものであろうと好感を持って推測することができる。
逆にいきなり見たこともないような奇妙なメニュー構成も最近見せてもらったことがある。
何もそんな奇妙な構成で勝負しなくてももっと中身で勝負すべてではないかと
やはり感じてしまうものである。
このように奇をてらった画面は操作もしにくく統一性に欠けバグがあったりすると
「やはり」ということになる。
このような特異なメニューを作る設計者は一体なにをしたいのかと疑ってしまう。
メニューや適用業務でも
画面を見ただけでプログラムも品質もわかってしまう。
それはSAA標準化がされているかどうかを見ればわかることである。
いくら沢山のプログラムがあるからといってもやはりサインオンからの
入り口からの操作性を統一していくべきである。
今からでも社内の適用業務の画面や操作性を少しでも標準化を推進して欲しい。
美しい画面にこそ高い品質のプログラムは宿るのである。